日本の弁護士の歴史

司法

日本で初めて「弁護士」という存在ができたのは、1893年に弁護士法が制定されてからです。

それまでの日本においては、明治時代に近代的司法制度が導入されるのに伴い「代言人(だいげんにん)」が創設されていたのですが、資格制度が存在していたわけではなく、今のような高い地位には無く、むしろ周りから低く見られていました。

弁護士法が制定されてからもしばらくは司法省の監督下に置かれ、その活動内容は法廷の中のみに限られていました。

そのため、法曹界では裁判官、検事に比べて低くみられていたのです。

1936年の改正のより法定外での活動も認められるようになりました。

そして戦後の1949年に新たな弁護士法が制定されます。これにより国家権力からの独立性が認められ、同年に日本弁護士連合会(日弁連)が結成されました。

それまでは別だった裁判官や検事と共に司法試験および司法修習が一元化され、現在の体制が整うこととなり、その地位も裁判官、検事と同等にみられるようになりました。

日本の弁護士事情

六法全書

日本の弁護士は、司法制度の改革以前と改革以後では全く事情が異なります。

近年に入ってから、司法制度は改革されて法科大学院という大学院を卒業していれば弁護士になれる可能性が極めて高くなりました。

それまでの弁護士になるための試験である司法試験の合格率はわずか2%から3%程度しか存在しなかったので、それと比べると司法制度が改革されてからの弁護士になれる確率は約10倍以上になっています。

ただ、そうした事情もあってそれまでは不足していた法曹家の数そのものが飽和状態になりつつある現状があります。

この現状は、法曹家を利用する一般人にとってはものすごくメリットがあります。

なぜメリットがあるのかというと、弁護士の数が増えることによって顧客の奪い合いが始まるからです。

法曹家の数が増えたところで顧客の数は一定なので、その中で法曹家同士で顧客を奪い合わなくてはいけなくなります。

そうなると、現状のように法曹家への利用料金がやすくなります。

弁護士の営業活動について

指をさす弁護士

花形職業の一つに、弁護士があります。

弁護士の人数が少なかった時代は、社会的正義の実現という崇高な任務に携わっていたこともあり、蓄財が本来の目的ではないこともあって、営業活動をすることには、どことなく後ろめたい空気がありました。

全く同じ趣旨でもって、過去は、弁護士が業務公告を出すことは、基本的には禁止されていたのです。

とはいえ、事務所経営は顧客から受け取った報酬で行っているのですし、当然ながら、自分自身の生活もやっているのですから、そういった意味では、収入を得ることで生活していることに全く違いはありません。

ですから、従来より、一定の営業活動をしていたのは事実なのです。

昨今は、弁護士の数が増えたこともあって競争が激化し、弁護士が営業をする必然性が高まってきていることは間違いありません。

できれば、マーケティング手法を用いて、法律相談にクライアントを呼び込むというやり方をとる事務所が増えてきました。

法律相談に足を運んだ顧客からの受任確率が高いことは当然です。

そうなると、あえて営業をかけなくても、受任を獲得することが可能になります。

弁護士の所得実情について

封筒に入った現金

弁護士といえば、高収入でエリートというイメージでしたが、司法試験の制度改革が行われてから大きく事情が変わってきているようです。

新制度では、旧司法試験と比べて多くの合格者を出すようになり、弁護士の数が急増することとなりました。

これにより、仕事からあぶれる食えない弁護士が増えることになります。

よく言われる、イソ弁、ノキ弁、タク弁と言われている人たちで、年収も普通のサラリーマン以下の場合がほとんどです。

それでも、まだ仕事があれば良いほうで、仕事のない人たちになると年収100万前後というケースも多くあります。

もちろん、高年収の弁護士も多く存在はしているのですが、完全な2極化現象が生じているというのが実情のようです。

日弁連が10年に一度実施している実情調査によると、弁護士の平均年収は2010年度では3000万円を大きく超えている一方、2012年度の国税庁調査では、年収100万円から400万円までの数が4000人を超えるようになっています。